エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(監督:ダニエルズ)は過大評価か正統評価か、どちらでしょうか? ※ネタバレあり
まず気になったのは、とにかく長く感じたということです。その場で扱う出来事を、くどいまでに同じことの繰り返しで幾分うんざりしてしまう機会が多々ありました。冒頭で、エヴリンはジョイの彼女ベッキーを、ゴンゴンにはただの友達的な関係だと紹介します。それに反発したジョイは憤懣やるかたない体でその場を後にし、エヴリンが後を追い、今まで溜まっていた不満をお互い交換するものの本質的なことを言えないまま最終的に離反します。その問答は結構うだうだと続いてある意味現実的でもあり、しかも後半対比となる遣り取りが出て来て重要なのですが、なおさら何度も見る場面であれば、もっとすっきり出来なかったのかな、と思いました。他にもオフィスエブリンがカンフーでディアドラと闘うシーン、エヴリンがピザガールの能力で闘うシーン、白い神殿でベーグルの前で問答するシーン、ウェイモンドがディアドラを説得するシーンを遠巻きに眺めるシーンなどは冗長的だと感じました。逆に、エヴリンとジョイが無機物になるシーンなどは長尺を使っていたものの妥当な内容かな、と思います。
次に、比較的下品な表現や暴力描写が連続する本作ですが、レーティングはG、全年齢の視聴が許されています。これにはレーティングの意味や判断基準を問いただしたくなる思いです。特に作中アブノーマルな性交渉や、それに使用する器具、玩具およびそれを思わせる事物が数多く見られます。これは性の多様性と拡大解釈するには過ぎた描写ではないかと感じました。しかし敢えてこのレーティングを弁護するなら、アメリカ映画で唐突にねじ込まれるベッドシーンやシャワーシーンがないので、肌色率が低いという点でしょうか。どちらにしても、家族で見たりするには向かない作品で、日本では鬼滅やコナンほど売れないだろうと思わせる要因にはなります。
もちろん良かった点もあります。本作では、何てことのないモブや、ちょっとした小道具が、思いのほか伏線として機能していることです。目玉のアクセサリー、それと対をなすベーグル、ディアドラのトロフィー、ムチやボールギャグ、アライグマ、歌、などなどです。どれもそれらを選び取るか、捨て去るかで大なり小なり世界が分岐して別の宇宙が無数に広がっていったのだと思わせるに足る演出ではないかと思います。また、主に今の宇宙ですが、ある宇宙に起こったことが他の宇宙のエヴリンやその周辺に有形無形の影響が現出するのも面白い演出だったと思います。戦闘中のに殴られたら映画館でもダメージを負ったり、無機物に目玉が付いたり、人形が傷ついたり、といった演出は変化が目に見えて分かりやすい描き方で、全年齢のレーティングにぴったりな分かりやすさだったのではないでしょうか。
最後に、最近の全身タイツCGヒーロー映画や、日本ではアニメ映画の隆盛に歯が立たない実写映画ばかりなんですが、この映画の親子やその周辺の人物の演技は、実写ならではの魅力に溢れていると感じます。残念ながら家族団欒で見る内容ではないものの、少し家族関係がうまくいってないものの何とかやり直すきっかけが欲しい人や、ある時の選択を今でも後悔して引き摺っている人など、本作が刺さりそうな人はごまんといることでしょう。その境遇よりも困難な状況にあって、諦めかけていながらも遂には立ち向かい克服する登場人物の一挙手一投足から目が離せなくなるような、脚本や演出、映像美に後押しされた俳優陣の演技力、演出の再現力も高評価の一因であることは間違いないでしょう。